サノジ・ログ

無益な行いの、この上ない、常に新鮮な楽しみ

書き出し

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いちども名前を聞いたことの無いような原作者が、ずいぶん多いですね。けれども、そんなことに頓着せず、めくらめっぽう読んで行っても、みんなそれぞれ面白いのです。みんな、書き出しが、うまい。書き出しの巧いというのは、その作者の「親切」であります。

(太宰治『女の決闘』) 


 記事を更新する時によく考えるのが書き出しです。ビジネス文書を書くときはこの文書で何を伝えたいのかを冒頭に書く、これがいわゆる結論を先に書くってことなのですが、これも一日に大量の書類に目を通し決済をする人間への親切と言えるかもしれません。

過去にブログを書いていた際の書き出しは、挨拶プラス自己紹介(こんにちは。Sasamingです。)という形で固定していました。これには理由があって、毎回同じ書き出しにする事で『いつもの所に記事を読みにきた』という感覚を持って頂きたかった…というのがタテマエでホンネは考えるのがめんどくさかったからというすこぶる実利的な理由であったりします。

また改めてブログを書きはじめたわけですが、今回は書き出しを統一せずに進めていこうと思っています。しかし、書き出しを真面目に?考えだすといきなり記事を書くのが難しくなるんですよね。なぜかというと、書き出しが読み手に与えるパワーがすごいからです。例えば、冒頭に示した作家の太宰治の作品『二十世紀旗手』の書き出しは

(生まれて、すいません。)(太宰治『二十世紀旗手』

 

ですからね。何があった?!と思わずページをめくりたくなる、パワーあふれる書き出しです。どうせ書くなら、読みに来てくれる方に無駄足を踏んだ感は持って欲しくないので、書き出しには気を使ってしまいます。 書き出しの効能は書いている側のモチベという観点でも大事で、書き出しが決まるとすごくスラスラ筆が進みます…が、そんな風に書き出せることはなかなかなく、悩ましい所です。

そんなこんなで、今回再開したブログは書き出しを統一せず進めていきたいと思っています。しかし、面倒になったら決まった書き出しになっているかもしれません。その時は「あ、こいつ諦めやがったな」と生暖かい目で見てあげてやがれ下さい。